記事掲載のお知らせと発言についての付記(栗田)

「社会新報」という社民党の新聞から6月末に取材を受け、記事(『社会新報』2007年8月22日(水)6ページ目)になりました!

機会がございましたら目を通していただければさいわいです。
ページで大きく取り上げていただいたことはほんとうにありがたく、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。

しかし、そのような貴重な機会であったにもかかわらず、私(栗田)の言葉足らず、ないし未熟さゆえに一部に誤解を招く発言をしてしまった箇所があります。社会新報側ではなく、これは私の責任です。

例えば、

フリーターズフリーNPOでなく有限責任事業組合にした理由に「社会的な責任を引き受ける」というスタンスがある。


と発言した箇所です。

これではまるで、NPOが社会的な責任を引き受けていないみたいですよね。NPOが社会的な責任を引き受けていないわけはなくて、いわんとしたことは、同人誌やブログでの発信だけではなく有限責任事業組合にした理由に「社会的な責任を引き受ける」・・・とい言いたかったのですが、言葉足らずでした。ちなみにこのHPにありますように、有限責任事業組合の特徴は(1)協同出資(2)負債等の責任は投資した分の「有限責任」(3)組合員内の自治というこの3つです。

また、

「男性たちがマッチョ的な価値観に何らかの形でつまづいたことがないなら、現時点でフリーターズフリーにかかわりえないでしょう」

と発言したところです。「つまづき」と書くと、男性的なものがいやだからそれの「アンチ」としてのみフリーターズフリーが存在しているようにも読めます。またほんとうに「つまづいて」いるかどうかもわからない。男性的な価値観に違和感がある、というくらいはいえるかもしれないですが、という声もFF内部から出てきました。

さらには

(女性の書き手が)「4人しかいない」

という発言も他の男性メンバーが女性を排除したように読めてしまうのでは、という声もFF内で生じました。
実際には雨宮処凛さんや貴戸理恵さんに声をかけたのは杉田さんであったり、立川のオリオン書房の企画を立てたのは大澤さんであったりと、決して女性を意図的に排除した等の事実はないことを付記させていただきます。
ちなみに私自身は、知人の女性達に声をかけてやんわり断られた経験が多かったという事実があります(「文章はちょっと」とか「フリーターについては、フリーターじゃないから……」という返事だったり)。栗田の「不徳のいたすところ」なのかもしれません。が、「そうであるにもかかわらず」か「そうだからこそ」なのか、ともかくもこの女性が4人(17分の4人)という数字は何を私達に投げかけているかをあらためてじっくり考えたいものです。フリーターズフリーの2号のテーマのひとつとして「女性労働」を取り上げようとしていますが、この事実への考察は重要なものとなるでしょう。

それにしても改めて責任ある発言とは?と考えました。政治家の失言を「嗤えない」という感覚はとても貴重なものなのかもしれません。それは政治家の発言を批判しないという意味ではなく、言葉の重みを問われた経験はほんとうに貴重なものである、そういう意味として捉えていただければありがたいです。