渋谷夏祭・感想

FreetersFree2008-08-27

渋谷の夏祭りにフリーターズフリーのブースを出させてもらった。

ブースを出します!と宣伝するのが普通だが、これは事後報告(事前報告を忘れたのは私の怠慢)。事後報告の理由は渋谷の夏祭りがあまりに「面白かった」から。
面白いといってもゲラゲラ笑うような面白さではない。可能性を感じさせる面白さ。ないしは「わかりやすくない」面白さに満ちていた。

この夏祭りの特徴は「お金、とりわけ“円”を持たない楽しさ」を追求すること。地域通貨「ウーナ」(かつてこの近辺でうなぎがとれたのだとか)がこの祭りの媒介物であった。
地域通貨を使って分かったこと、それは「その場所にいること」「そこの人達と繋がろうとすること」が通貨を通貨たらしめるものだと感じられたことだ。そこに居る人達と、物とつながりたい、それはもしかしたら貨幣の忘れられた、ないしは、そうでありうる機能なのかもしれない。そしてそれは「祭」のときだけではない「素」のときにもいたい、そう思わせる貨幣だった。



夜更けまで行われた祭りでああったものの、土砂降りの雨のせいでほとんど外灯はなく、隣のフットサル場に明るさでは負けていた。しかし、そこにある熱気は人の持つ仄明るさとでもいえるだろうか。そして渋谷のどの外灯よりも暖かく、ロマンチックな光を放っていた。「あなたが大好き」。長居公園の代執行のときに行われた「芝居」での叫びが、この公園のなかにも響き渡る。

さて、この夏祭りのもうひとつのテーマは「みんなの宮下公園をナイキ化から守ること」である。
そう、宮下公園が、あの「(一部フットサル場になったが基本的には)なにもない」、「うなぎの寝床」のように長細い宮下公園がナイキに買収されようとしている。
詳しくはこちらのブログから(夏祭りの詳細も載ってます)


この出来事の持つ意味を私は全身で感じ取ってゆきたい。

ナイキ化公園となったら。

まずナイキ(とそこで結託された一連の権力)は、そこに住む路上生活者達を文字通り「排除」する。そしてお金のないものがそこでたむろすることを「排除」する。そしてそこをデモの集合地帯としたり、ラジオ体操なんかしようとしたり、群れで集まるものたちを「排除」する。お金というところで意味がつけられないものを全て「排除」する。

そうしてそこは「カフェ」や「サーフボード場」やらにして、「金」を集める、「金」を持つ人を集める、そうして「金」が集まらない時間はその扉を閉ざす。人間だけがぽつりとそこにいることを、許さない。

ナイキは「宮下公園」を「ナイキ公園」という名前にしようとしている。「宮下」という名前も、天皇の権力が介在したネーミングであるというもあるようだが、いよいよ今度は「グローバリゼーション」的な権力が介在する。まさに超地域、超国家権力。なんつうかもう身もふたもないネーミングとコンセプトびしばしのこの「公」園は、基本的に、強い強い「貨幣」を持つものこそがそこにいる権利を持つと、その存在で語る。「公民」=「金を持つもの」だと主張しているように感じる。少なくともその名前と、行動で明らかにしようとしている。

私はフリーター問題は、就労の問題であり、労働の問題であると思う一方で、「お金を使わなければ生きていけない」生活そのものに疑義を促すところにまで透徹させなければいけない、と感じている。それは人によっては「フリーター問題」といえるかどうか疑問に思うかもしれない。しかし「お金のない」者が打ち出す可能性というのはまさに「金がなくても生きていける世界」の創造、すくなくとも「それほど金がなくても生きていける世界」を夢見ることであり、そこに向かって動くことである。


公園をつぶすということは、またひとつ市場的な価値観を強め、公の意味を変質させていくようなものと思えてならない。

さらにわたしたちは。きっとこの「みんなの宮下公園」を守るプロセスにおいて「渋谷区」という行政的な公ではない「公」を自ら作り出していくところまで進まざるをえなくなるだろう。この公園を誰がどのように守るかを、文字通り「誰」という主体を浮き彫りにさせていくだろう。それはナイキでもない、梨本宮近辺という意味における「宮下」でもなくなる日が。

私はやはりこの出来事そのものを知ってもらいたいとおもいここに書いた。
また、もしこのFFブログや「みんなの宮下公園をナイキ公園化計画化から守る会」を読んで賛同いただけるようであれば署名をはじめ、行動に関わっていただけたら私としてはうれしいことはない。私も何をしたらいいのかわからないのだけれど、ともかく書いて、伝えていこう。そして出会っていこう。そうすれば必要な行動もきっと起こせる、そう信じて。


追伸:この場を借りてKさんに御礼を。彼女は70年代からずっとウーマンリブの活動を「主婦戦線」という立場から語り続けてきた人。フリーターズフリーの可能性をろうそくのように(FFのブースにも可愛い橙色のろうそくをともしてくれたのだ)ともし続けてくれる人のように感じました。そして土砂降りの雨の中、トロい私を横目にせっせとブースをセットしてくれました。あと山谷の仲間も、です。そしてあの夏祭りの主催者達にも重ねてこの場で御礼申し上げたい。「ありがとうございました」。ちなみに本は計4冊買っていただきました。感謝。(栗田)